ナポレオン皇帝(´・ω・`)諸君、私は戦争が大好きだ。 コルシカ島の貧乏貴族だった私に栄華をくれた戦争が大好きだ。 丘の上からイキリス王国艦隊を撃破して少将に昇進した時は心が舞い上がる思いだった。 首都パリで起きた王党派の武装蜂起を、市民ごと大砲で鎮圧した時は心が燃え上がるようだった。 イタリア経由でやってくるオーストリア軍を、兵力の移動と集中で撃破した時は感動ものだ! エジプトの地を占領した時は、歴史ロマンに浸って良い気分だった!
ロベスピエール「やあ」 バラス「やあ」 タレーラン「やあ」 フーシェ「やあ」 バラスとタレーランとフーシェの三人は間違いなくトリュー二ヒトのモデル 特に王党派を虐殺して公金横領した上にロベスピエールを下剋上で処刑してさらにナポレオンにジョゼフィーヌとかというヤリマンビッチを押し付けた上に無策でエジプトを失いさらには革命政府総裁でありながら王党派に寝返ろうとしたバラスw
(´・ω・`)確かにこれはトリューニヒトすぎる経歴・・・・ 生涯 1755年、プロヴァンス地方のフォクス=アンフー(現在のヴァール県)で没落した名門貴族の家に生まれた。経済的な理由から父親に勧められ、16歳で軍隊に入ってラングドック連隊の士官となり、インドのポンディシェリに派遣される。戦闘に従軍して1778年のポンディシェリ陥落の際には捕虜となった。大尉まで昇進していたが、金銭問題で帰国する。 1789年にフランス革命が始まると、これを支持してジャコバン派に加入する。1792年に国民公会の議員になり、国王ルイ16世処刑に賛成票を投じた。ダントン派のコネで派遣議員に選ばれ、最初アルプ軍に派遣され、次にイタリア方面軍に移った。ここで初めてナポレオン・ボナパルトと出会う。マルセイユとトゥーロンの鎮圧を監督し、捕虜となった何百人もの町の住民を処刑した挙句、財産を没収した。公金横領など様々な汚職でロベスピエールからパリに召喚される。このためジョゼフ・フーシェらと協力して、テルミドールのクーデターを引き起こす。国民公会軍の総司令官として市庁舎を襲撃し、ロベスピエールたちを逮捕、翌日全員を処刑した。 その後の政権で有力者にのしあがり、テレーズ・カバリュス(タリアン夫人)を愛人にするなど、有力な銀行家や御用商人と結託して暴利を貪った。一方、パリの政情は安定せず民衆の蜂起が起こり(ヴァンデミエールの反乱)、国民公会はバラスを国内総司令官に任命した。彼はナポレオンを副官に命じ てこれを鎮圧させることに成功した。総裁政府が発足すると総裁の1人となる。バラスは総裁職を保持し続けた唯一の人物で、その後の5年間政府に君臨し、リュクサンブール宮殿に居を構えて豪勢に暮らした。愛人であったジョゼフィーヌは1796年、ナポレオンと結婚した。やがてナポレオンはイタリア遠征で成功し、英雄として、人気の無かった総裁政府を揺るがすようになる。 追いつめられたバラスはブルボン家のプロヴァンス伯(後のルイ18世)との交渉を開始し、王制の復活を画策する。しかしナポレオンはブリュメールのクーデタを起こし、バラスは辞職に追いやられた。その後、それまでに貯めた巨額の富を手にモンペリエで隠遁生活を送った。 1829年にシャイヨ(現在のパリ)で没し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・バラス
タレーランのほうはナポレオンは裏切ったけどフランスは救った英雄なんだよなあ。 外交チートで敗戦国を戦勝国扱いにさせたのはこいつぐらい。
作品の内容から外れるけど、アレッポの石鹸は良いものだと思う。 ミーニャン領ではどんな石鹸を使っているのだろうか。
(´・ω・`)銀行が融資して、複数の業者が競争して石鹸作ってると思う。
ナポレオン皇帝(´・ω・`)諸君、私は戦争が大好きだ。
返信削除コルシカ島の貧乏貴族だった私に栄華をくれた戦争が大好きだ。
丘の上からイキリス王国艦隊を撃破して少将に昇進した時は心が舞い上がる思いだった。
首都パリで起きた王党派の武装蜂起を、市民ごと大砲で鎮圧した時は心が燃え上がるようだった。
イタリア経由でやってくるオーストリア軍を、兵力の移動と集中で撃破した時は感動ものだ!
エジプトの地を占領した時は、歴史ロマンに浸って良い気分だった!
ロベスピエール「やあ」
削除バラス「やあ」
タレーラン「やあ」
フーシェ「やあ」
バラスとタレーランとフーシェの三人は間違いなくトリュー二ヒトのモデル
特に王党派を虐殺して公金横領した上にロベスピエールを下剋上で処刑してさらにナポレオンにジョゼフィーヌとかというヤリマンビッチを押し付けた上に無策でエジプトを失いさらには革命政府総裁でありながら王党派に寝返ろうとしたバラスw
(´・ω・`)確かにこれはトリューニヒトすぎる経歴・・・・
削除生涯
1755年、プロヴァンス地方のフォクス=アンフー(現在のヴァール県)で没落した名門貴族の家に生まれた。経済的な理由から父親に勧められ、16歳で軍隊に入ってラングドック連隊の士官となり、インドのポンディシェリに派遣される。戦闘に従軍して1778年のポンディシェリ陥落の際には捕虜となった。大尉まで昇進していたが、金銭問題で帰国する。
1789年にフランス革命が始まると、これを支持してジャコバン派に加入する。1792年に国民公会の議員になり、国王ルイ16世処刑に賛成票を投じた。ダントン派のコネで派遣議員に選ばれ、最初アルプ軍に派遣され、次にイタリア方面軍に移った。ここで初めてナポレオン・ボナパルトと出会う。マルセイユとトゥーロンの鎮圧を監督し、捕虜となった何百人もの町の住民を処刑した挙句、財産を没収した。公金横領など様々な汚職でロベスピエールからパリに召喚される。このためジョゼフ・フーシェらと協力して、テルミドールのクーデターを引き起こす。国民公会軍の総司令官として市庁舎を襲撃し、ロベスピエールたちを逮捕、翌日全員を処刑した。
その後の政権で有力者にのしあがり、テレーズ・カバリュス(タリアン夫人)を愛人にするなど、有力な銀行家や御用商人と結託して暴利を貪った。一方、パリの政情は安定せず民衆の蜂起が起こり(ヴァンデミエールの反乱)、国民公会はバラスを国内総司令官に任命した。彼はナポレオンを副官に命じ てこれを鎮圧させることに成功した。総裁政府が発足すると総裁の1人となる。バラスは総裁職を保持し続けた唯一の人物で、その後の5年間政府に君臨し、リュクサンブール宮殿に居を構えて豪勢に暮らした。愛人であったジョゼフィーヌは1796年、ナポレオンと結婚した。やがてナポレオンはイタリア遠征で成功し、英雄として、人気の無かった総裁政府を揺るがすようになる。
追いつめられたバラスはブルボン家のプロヴァンス伯(後のルイ18世)との交渉を開始し、王制の復活を画策する。しかしナポレオンはブリュメールのクーデタを起こし、バラスは辞職に追いやられた。その後、それまでに貯めた巨額の富を手にモンペリエで隠遁生活を送った。
1829年にシャイヨ(現在のパリ)で没し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・バラス
タレーランのほうはナポレオンは裏切ったけどフランスは救った英雄なんだよなあ。
削除外交チートで敗戦国を戦勝国扱いにさせたのはこいつぐらい。
作品の内容から外れるけど、アレッポの石鹸は良いものだと思う。
返信削除ミーニャン領ではどんな石鹸を使っているのだろうか。
(´・ω・`)銀行が融資して、複数の業者が競争して石鹸作ってると思う。